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イギリスの小説家、コナン・ドイル著(1859年生まれ)『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』は、父の蔵書で見ての通りかなり古い。

推理小説が好きだった父の影響もあり、私へと引き継がれ、結果、私はコナン・ドイルのファンになった。

コナン・ドイルは医師であったが、同時に作家活動をしていた。作家はもともと、副業だったらしい。
眼科を開業するものの失敗に終わり、それが作家として成功していくことになる。ドイルは作家としての道に進むべきだったので、眼科医としては成功するようになっていなかったのだろうと思う。

シャーロック・ホームズ人気はすごかったけれど、本人は歴史小説を書きたかったというのだから、本人なりの葛藤もあったのではないだろうか。
実際、小説の中でホームズが崖から落ちて(滝だったかもしれない)亡くなってしまうのだけれど、当時の私にはショックが大きかった。ただ、本当に書きたいもののために小説の中でホームズを亡くなったものとした、と言っていたというのを後で知った。

その後ドイルは、戦争医師として働いたり、総選挙に出馬するなど、様々な経験をしている。
ちなみに「シャーロック・ホームズは亡くなっていない」という設定で続篇が読めると知ったときには随分喜んだものだ。第一次世界大戦 にも関わっていくが、それは執筆家としてであり、実際に戦史を書いている。

 

59歳の時に家族の何人かが戦死、また病死と続けて死別を経験。(47歳の時にも妻を亡くしている)この頃、本格的にスピリチュアリズムの活動を始めることになった。

スピリチュアル本『新たなる啓示(コナンドイルの神霊学)』を書いた時のドイルの年齢は60歳。死別を経験してスピリチュアルな道へ進む方は多いのだけれど、ドイルの場合は若いころから交霊会などに顔を出すことがあり、精神世界に対する興味はあったようだ。ただ、懐疑的だったとも言われている。

 

その道を追求するきっかけやタイミングは人それぞれだけれど、決して年齢に遅い、早いは関係ないと教えてくれているようだ。
また、心霊主義を元にした小説霧の国も書いている。いわば、本当にその世界を知ったドイルだからこそ、という作品なのではないだろうか。

SAGB(英国スピリチュアリスト協会)の会長を務めた事は有名で、私財もスピリチュアリズムの普及のために使ったそうだ。そんなドイルは心臓病のため71歳で霊界に帰幽された。

 

SAGBには今もドイルの写真と椅子が飾ってある。なぜだか写真は撮影禁止と言われた。椅子はというと近づけないようになっていたが、ドイル好きの私の相当な喜び方は想像いただけると思う。

 

様々な経験をされたドイルだけれど、その経験が深い洞察力を養い、スピリチュアリズムの長年の探求をまっすぐに続けていく。。。。ドイルの活躍へとつながる。それら全ては霊界の計画の通りだったのだと思う。

 

碑文には

“Steel true Blade straight
Arthur Conan Doyle
Knight Patriot, Physician and man of letters
Patriot 22 May 1859-7 july 1930”

”鋼鉄の真実 まっすぐな刃
アーサー・コナン・ドイル
騎士  愛国者 医師  文学人”

と刻まれている。

彼は死後、メッセージを送ってきた。それをまとめたものがコナン・ドイル―人類へのスーパーメッセージ

*本詳細は

コナン・ドイルの心霊学

コナン・ドイル―人類へのスーパーメッセージ

にあります。

並べるのはお恥ずかしい限りですが、よろしかったらどうぞ。
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