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パラリンピック閉会式のフィナーレの「What a Wonderful World」を歌ったお一人の奥野敦士さん。人生についての番組を放送していました。

奥野さんは1980年代に活躍したロックバンドROGUE(ローグ)のボーカルでした。人気絶頂、解散、メンバーには「君とは一生会わない」と言われ、ソロ活動するも孤独を経験。そしてアルコール依存症へ。

長いブランクの後、メンバーの一人が再結成を電話で言われた時には、お金もなく解体屋さんで仕事を始める状況だったそうです。
所が屋根から落ちて負傷し、頸椎損傷という重症で首から上、右手中指を動かすことができるのみという体に。
その現実に「生きていなくても・・」と思われたそうで、その当時の心身の傷みは相当だったでしょう。

気づいたのは「まだ俺には歌がある」という事でした。だからこそ歌うために立ち上がるのですが、声が出ないのです。腹筋を使うボーカルですが、麻痺で腹筋が使えないのです。そこで体を前後に揺らす方法でリハビリに励みます。

1曲歌えるようになったとき動画サイトにアップしたのが「What a Wonderful World」です。歌えるようになるだけでも奇蹟的な事なのですが、ここからが本当の奇跡の連鎖が始まります。

 

その動画を見たのが、ミスターチルドレンのの櫻井さんでした。実は、ROGUEは桜井さんのデビュー前に自身の音楽に影響を与えたバンドだったのです。
そこで、桜井さんは奥野さんの病院へ行き、「コンサートで歌ってくれない?」と声をかけるのですが、そのオファーを奥野さんは断ります。体力がないと。

しかし、櫻井さんはコンサートでROGUEのヒット曲のカバーを披露して、大きなバックモニターからは奥野さんのビデオ出演の歌と映像が流れます。

なんとまた、それを偶然見ていたのがROGUEのメンバー香川さんでした。事故にあったのを知ったとき奥野さんの人生の歯車を狂わせてしまったのではないか、と感じていたそうで、事故後も解散時に二度と会わないと思うほど嫌いになった奥野さんとは距離をおいていた時だそうです。

そんな関係が続いいていた時に再結成を持ち出したのは、ROGUEがアマチュアの時に出ていたライブハウスの店長さんでした。

香川さんは再結成の話は一旦は断ります。「死ぬまでにいいことくらいしておいた方がいいよ」と店長に説得され、決心して店長と二人で奥野さんに会いに行きます。

 

この後、復帰に向けて奥野さんは復帰のために死ぬほど努力をしたそうです。

「俺には歌があった」と立ち上がったように、ライブ・ステージに立ちます。努力は歌声に現れているのは言うまでもありません。

 

 

そこから、パラリンピック閉会式の
「What a Wonderful World」
へつながっていきます。

奥野さんはインタビューで
『「生きることって楽しいんだな」って。それが伝わればいい。一度どん底に落ちたから、余計そう思うよね、生きててよかったって。毎日楽しいもんね、俺。そういうふうに思っている俺の歌が伝わればいいな。』

まさに
What a Wonderful World・・・

です。

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