メール

info@sakura-marina.com

営業時間

月〜金: 10 AM - 7 PM

私の叔母は何度か大病をして手術を繰り返しそのたびに復活してきた人でした。一度は生命の危機を乗り越え、それだけに留まらず臓器の一部の切除手術を数回経験した、といえば想像できるかもしれません。

その叔母は、入院中に患者さんだった占いの先生から指導を受けて、ほぼプロと言っていいほどの知識を持っていました。それだけではなくご自分の経験があったのでしょう。神仏についても作法をはじめかなりの知識を持っていて、様々な場所に出向いて祈りを捧げる人でした。自宅にも祠があり熱心さに感動したものです。

私はその叔母が行く神社の何カ所か連れて行ってもらったことがあります。その1つが霊山と言われる場所でした。まだまだ一緒に出かけられると思っていた矢先、霊界へ旅立ちます。その後、しばらく間が空いたこともありますが叔母との思い出の地となった場所に時々足を運んでいます。

 

春頃、久しぶりに霊山に出かけてきました。平日だったせいか参拝者は私一人だったのですが、お参りをする私の後ろ側から一人の参拝者の男性が歩いてきたのに気づきました。先にお参りを済ませた私は振り返りざまに声をかけられます。

この場所の裏側に余り知られていないけれど、「霊神」が祀られているので行くと良い、という教えられたのが最初でした。
それをきっかけに様々なお話をしてくださったのですが、気付けば1時間半経っていたのです。そのお話の内容を他の方とシェアしたいと言っても、スピリットの方達は反対しないだろう、と思わせる内容でした。

 

まず御託宣という方々について教えられます。託宣とは神からのお告げの事を言いますが、この場合は託宣を告げる人、つまり霊媒の意味で説明されています。ここから具体的にその内容になります。かっこ部分は私の補足です。

 

 

霊山で修行をして御託宣になるには、10年かかる。長いけれどやはりそれぐらいは必要だ。実は自分の叔父が御託宣だった。昔は叔父のような御託宣が沢山いた。今は、それで生活ができなくなり本当にできる人数も減ってきている。

御託宣をもうらう時の叔父は、段々記憶がなくなり、全部飛んだら神様が乗り移り(トランスの事だと思う)、言葉を届けてくれる。声質も変わるし、本人は受け取ったその言葉などは覚えていない。

両親が自分が生まれる前に名前を叔父に相談した。宗教心が強い子供になるからと教えられ、宗〇(実名は避けます)という名前をくれた。それがその名前の通りになっている。

ずっと修行の人生なんだ。それもそのはずで自分は前世で(霊的修行を)やめてしまった。だからもう一度やり直すために生まれてきた。ある程度この世でやっておけば、この世に来なくて良い(死後輪廻しないという意味)。この修行が終われば二度と生まれ変わることはないからね。人生が楽ではないんだ。それでもやり残したことがないように、日々過ごしている。

家にある仏像の前でお経を唱えると、亡くなった方の霊魂がお経を聞きに近づいてくる。その霊魂たちは白い色をしている。

(私があなたにもそうした能力が備わっているのか伺った)自分は修行はしているが能力はない。能力と言うのは生まれ持って備わったもの。備わっていない自分にはお経をあげて祈ることぐらいしかできない。(ここでご自宅の御写真を見せてくださった。仏像などが並ぶご立派な祭壇があった。そこでお経をあげるとのこと)

先代の先達さんは素晴らしい人で、無私で人を助ける人だった。でも自分の人生は苦労ばかりだった。信仰する人たちは困ったことばかり起こる。だから神様に一生懸命祈る。だから神様と通じるようになる。

 

 

「話が長くなってしまったね。聞いてくれてありがとう。では、これからお参りしてくると言い。」
という会話を最後に、この方とお別れました。

おすすめ記事