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父が闘病していた記録をホームページに掲載していました。
闘病記に書く必要がなくなった後は、ブログへ引き継ぎました。
そこでは愛犬との日常ぐらいしか書く事が見つからない時もあったのですがなぜか書き続けていました。(闘病記は掲載、ブログは一部掲載中)三日坊主なのに・・・・

最近、あることがきっかけで自分の書いた闘病記を少し読み返していました。そこから幾つか思い出すことがあります。

父が大きい病院でしか治療ができないと言われ、街の病院から紹介状をもらい、はじめて診察を受けたときのことです。診察を終えて検査へ行くことを理由に、父だけ席を外すよう促します。若い医師でした。
いきなり「今年のお正月が最後になる」と宣告を受けたのです。このとき私が父を病院に連れて行ったこともあり、家族は私しかいませんでした。
ショックを抱えきれない感情とはこの時の私に当てはまります。

その時の闘病記にも「その後は、いかに涙を父に見せずに普通の態度で接するか?それはしばらくの間私を苦しめた。」と書いてあります。この後次のように続きます。

『自宅に戻り父を家で下ろして(車から)、病院の処方箋をもらう事を理由に家を出た。そして、隠れて泣いた。泣いても泣いても涙は枯れない。
しかし私には仕事が残っている。処方箋をもらいに薬局へ行かなければ。本当なら大した事ではないのに、この時の私にはたったそれだけのことがとてもしんどい仕事に思えた。
<略>そのまま家に帰ってもまだ涙を隠す自身が無いためその足でお稲荷さんへ行った。ここには毎月行くお稲荷さんだ。
そこで、私が父に涙を見せないよう力を与えてほしいとお願いをした。そして父が一日も長く元気でいられるよう、釣りにも行けるよう、いや、出来るなら癌を体から消して欲しいとお願いをした。
涙はどこから出てくるのか?手を合わせるだけで涙があふれて流れる。

しかし、どれほど手を合わせていただろうか?さっと涙が消えていった。
なんとなく「力を貸すからもう泣くなよ」とでも言われたような不思議な感覚だったのを今でも覚えている。

そのせいか何食わぬ顔で家に帰りいつも通りにすることが出来た。』

この時の感覚は今もうっすらと記憶に残っています。必死な思いが見えない大きな存在に通じて、その大きな存在が答えてくれた、そんな感覚です。

当時、スピリチュアリズムを学ぶ前でしたし、今ほど見えない存在に対する感性を持ち合わせていない時でした。

 

さらに父が一時的に回復したとき、このお稲荷さんへ一緒に出掛けたことがあります。父は普段のお祈りの仕方と言ったら簡略に済ませるほうです。所が、この日は手順通りに進めるのです。そのときの事を振り返りながら当時の記録にこう書いています。

 

『父は自分が火をつけて立てたろうそくを見て「赤々と燃えている。願いを聞いてるんだ」と言った。何をお願いしたのか、と聞くと「家族みんなが元気で幸せであるように、だ」と言った。父の口からは「家族の健康と幸せを願っている」という言葉は一度も聞いた事が無いが、お稲荷さんの前で初めて聞いたことで泣きそうになった。

その父の姿は今も時々思い出す。
父の望みはゆるぎなく、純粋なものであるからこそ、父の灯したろうそくは赤々としていたのだろう。
そして、純粋でゆるぎない望みを持ち生きていかなくては、と思う。』

父は、身体からがんが消える事はなくても、釣りへ行き、旅行へ行き、家族の健康を願いながら残りの人生を全うして霊界へ旅立ちました。

 

 

ふと、思うと、見えない大きな存在は、私たちの願いを聞き届けてくれる存在であり、返事をしてくれるのだと、改めて見直しています。

それからしばらくした今年の事です。ある出来事に対する願いを神社でお祈りしました。
その時にあの時と同じ「不思議な感覚」を得たのでした。この時は闘病記の事を忘れていましたが、ずっと寄り添う存在であるという事に思いをはせていました。

 

 

 

今度は、父もそこに加わっていたに違いありません。

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